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nowayのブログ

人間関係はミニマリストなnowayな私が省エネに生きる様を面白くお伝えできたらと思って書いていきます。

私は他人に嫌われることにあまり抵抗が無いタイプの人間です。俺はソロなんだ。SAO的に。

どうもキリトです。

アインクラッド編はとっても面白くて、こういう感じの世界観を求めた結果、おかげさまでログホライズンやアクセルワールドやダン待ちなんかを楽しく見ていた34歳の好青年です。分からん人は分からなくてよろしい。気になるならばanimateへ行きなさい。

 

キリトの場合はビーダーと侮蔑され嫌われ役に回っていましたが(β版プレイヤーかつチートプレイヤーをビーダーと言う。ビー玉を射出するコロコロコミック漫画では無い)、かくいう私はと言うと、嫌われ役に回るつもりもないのだが、どうにもあまり好かれないタイプの人間だったようで学生時代を含め友達はほとんどいない。

キリトは男の友達は全くいないようだが、女の子には好かれるようでハーレム状態である。かくいう私は、男友達はいなかったが何故か女子とは仲良くできていた。

キリトはいつも黒づくめの衣装をまとっているが、私は全身紺色の服装を好んで着ている。あれ、俺ってもしかしてキリトじゃない?そう思ったので冒頭の挨拶に帰結するわけだ。

唾棄すべき冗談はさておき、オタク文化ってやつはそうした特殊環境でヒーロー的ふるまいをおこない、女子にワーキャーされ、スタイリッシュに立ち回りつつも、もてるつもりは全くなくのに「やれやれ」という感じで傍らに本命、対抗、大穴、その他、と言った風に女性をはべらす展開を好むようだ。

しかしながら、こうした作風は古くからあって、ギリシア神話だってゼウスを中心としたハチャメチャ日常系だろう(神レベルの)

さて、本題。

私はいつからか知らないけれど、他人様に嫌われるということがあまり気にならなくなっていた。おそらく最初は思春期をこじらせ、肥大化して肥大化してダイエット出来ないくらいまで膨らんだ自意識を持て余して、アウトローな自分かっこよい、と悦に至っていたような記憶があるが、そうした自分を肯定し、信じ、つらぬきとうした結果、まるでフィクションみたいな今の私の人格が出来上がったのである。

つまり、他人に嫌われることを全く問題に感じない34歳中年と言う稀有な存在である。これはすごいよ、あなた。普通、34歳って調和をめざし、チームで万事物事の解決にあたる訓練を積み、そしていずれは課長、部長と目指すべく研鑽をつむそんな年齢であるはずなのに、私ときたらまるでその辺がお子様感性なのであった。

お子様感性と己で言うては見たものの、そこには若干の違和感を感じているのもまた事実。つまり、お子様感性って生きる上で重要なナルシズムと遠からず関係しているんじゃないかってこと。

ナルシズム、言葉だけ聞くと印象の宜しくない言葉だが、これを持たない人間を私は好まない。自分自身の行いや発言や考えにナルシズムが無い人間は動物と変わらないのではないかとさえ思っている。

人間は本音があり建前があり、そうして社会生活を送っている。そして本音も建前もどちらも理性の上に成り立つ概念だと思っている。人間は理性の下に本能や業と言ったものを内包した存在だと私は思う。

本音で話す場合もあってよいだろう。たまに本音をかいまみせることは人物の好感を上げる意味で有効だと思う。私もそういう本音であれば良いと思う。ただ私は建前が好きだ。良くあろうとする建前が好きだ、本音では身もふたも無い事を建前で導こうとする感性が好きだ、本音を覆い隠してまで気高くあろうとする建前が好きだ、そしてそうした建前はきっとナルシズムだ。ナルシズムは人間が理性的に理想的に生きようと発明した何とも愛しい考え方であると思っている。

そして、大人になるとナルシズムさえも便利に利用するずるがしこさを手に入れてしまうくらい人間の頭は良い。でもなあ、私はそうではなくて、ナルシズムまで賢く利用してしまうのは悲しいのだ。

だから私はお子様感性を内包したまま、本音と建前を使い分け、ナルシズムには真摯に向き合いたいと思っているのだ。己の合わせ鏡を裏切りたくはないのだ。

で、オタクに話が戻る。オタクってのはそうしたピュアなナルシズムにあこがれるお子様感性を持った存在なのだ。せめてフィクションの中だけでも美しいものに触れていたいという潜在的な欲求が満たされる作品を探し続けている、うん、よい自己肯定感覚を獲得できたところで、長くなってきたからここらで切り上げるとする。

って、こんな文章誰か読みたいのかなあ?